今年、1月1日の能登半島地方を襲った地震から、そしてニュースで見るその後の被害の大きさに心が締めつけられる。
能登はボクにとって第2の故郷といってもいい。
20歳の時自衛隊に拾われ、そこで写真と出会った。
除隊後写真で生活したかったがそんなの無理だった。
食っていくために自衛隊の同期で友人の故郷、能登半島の七尾市大泊で漁師をすることになった。
そこの番屋で寝泊まりしながら漁船に乗り毎朝漁に出た。
ポケットには小さなカメラを忍ばせ、最初は怒られるのを覚悟で恐る恐るシャッターを押していたが、やがて漁師のおじさんたちがボクを仲間と認めてくれたのか笑顔でカメラに答えてくれるようになったのだ。
約1年半の能登半島での漁師生活の後、ボクは幸運にも失業保険をもらいに行った東京で、ある新聞社のカメラマンの職を得ることになった。
その能登半島で撮った写真は銀座のキャノンサロンでカメラマンとしての初めての写真展を開くことができた。
それからアメリカに渡り今度はその能登の写真は2度目の日の目を見ることになった。
フロリダにあるモリカミ博物館で3ヶ月の長期に渡り写真展を開くことができたのである。
1昨年、年取って日本に帰ってきたボクは、死んだら自分の灰は能登の海に撒いてもらおうと考えていたのだった。
ここの海はボクにとって生まれ故郷鹿児島県長島と同じ海。
この美しく、時には厳かった海がボクのカメラマン人生の最初の出発点となったのである。
地震の被害に遭われた皆さんにどんな言葉をかけたらいいか、暖房の効いた部屋でテレビをみている自分に言えることではないが、苦しんでおられる皆さんにただただお祈りを捧げるだけです。
みなさんどうかこの困難に負けないで。